孤高の国母

(60)明治の終焉…大正ロマンの扉が開かれた

大正天皇
大正天皇

 大正元年7月30日《皇太子践祚(せんそ)あらせられ、祖宗の神器を継承したまふ。乃(すなわ)ち天皇登極令の定むるところに従ひ、午前一時賢所に祭典を行はしめ、且践祚の旨を皇霊殿神殿に奉告せしめたまひ、同時宮中に於て剣璽渡御の儀(※1)を行はせらる。仍(よ)りて皇后は掌典宮地厳夫をして賢所皇霊殿神殿に代拝せしめたまふ》(貞明皇后実録13巻31~32頁)

 《是の日、天皇は皇室典範及び登極令に基き改元を行はせられ、枢密顧問の諮詢を経て大正と定めたまふ》(同巻33頁)

 明治天皇が崩御したのは29日午後10時43分。明治22年勅定の皇室典範に従えば、この瞬間をもって嘉仁皇太子は天皇、節子妃は皇后となる。だが、同日中に即位の儀式などを行うのは困難で、《喪を秘すること二時間》、30日午前0時43分をもって崩御時間とした。

 ときに大正天皇32歳、貞明皇后28歳-。公務の内容も周囲の対応も、この瞬間から一変する。