南部仏印進駐を「侵攻」 山梨の公立高入試 “出典”は中学歴史教科書

南部仏印進駐を「侵攻」と表記する山梨県の公立高入試問題(渡辺浩撮影)
南部仏印進駐を「侵攻」と表記する山梨県の公立高入試問題(渡辺浩撮影)

 3日に行われた山梨県の公立高入試の社会科で、1941(昭和16)年の日本軍によるフランス領インドシナ南部(南部仏印)進駐を「侵攻」と表記する問題が出された。フランス政府との協定に基づく無血進駐だったのに、なぜ「侵攻」なのか。県教育委員会は県内で採択されている中学歴史教科書の記述に沿ったとしており、原因は教科書の検定や採択に行き着く。(渡辺浩)

県教委「出題は適正」

 県公立高の入試問題では、米国が石油の全面禁輸を行って日本を経済的に孤立させようとしたことを答えさせる設問の中で「日本軍が1941年7月にフランス領インドシナ南部に侵攻した」とした。

 日本軍は当時、日中戦争に中立であるべき米英両国が蒋介石政権を支援する「援蒋ルート」を断ち切るため、北部仏印に進駐。日米交渉が行き詰まり、資源確保を目的として、さらに南部仏印に進駐した。

 日本はドイツに降伏した後のフランス(ビシー政権)の了解を得ていた。さまざまな評価はあるが、歴史用語は「南部仏印進駐」で定着している。

 入試問題での侵攻という表記について、県教委高校教育課の荻野智夫課長は「県内の中学校で使われている歴史教科書の記述を参考にしており、出題は適正だ」と説明する。