孤高の国母

(65)天皇の“威”を借りやりたい放題…国民の怒りが爆発した

東京・日比谷で街頭演説する尾崎行雄=大正時代
東京・日比谷で街頭演説する尾崎行雄=大正時代

 日本の民主主義は戦後に始まったと、当たり前のように説く文献もあるが間違いだ。占領軍が押しつける前から日本式の、オリジナルの民主主義があった。日本のデモクラシーを考えるうえで、大正時代に国民が成し遂げた、数々の政治成果を忘れてはなるまい。

 藩閥政治の巨魁、山県有朋らの策謀により、立憲政友会が支える西園寺公望内閣が退陣に追い込まれたことは前回書いた。その数日後、大正元年12月14日か、あるいは15日、内大臣兼侍従長の桂太郎が参内し、大正天皇に言った。

 「陛下からご下問のありました後任首相でございますが、元老会議で協議したところ、この私に出馬せよとの結論に至りました…」

 大正天皇は黙っている。桂は続けた。

 「…しかしながら私は、4カ月ほど前に常侍輔弼(じょうじほひつ※1)の内大臣となった身。首相となることはできません…」

 「どうしようというのだ」

 「…恐れながら、私の首相復帰をお許しになる勅語をたまわりたく、お願い申し上げます」

 大正天皇は苦悩しただろう。西園寺内閣の退陣をめぐり、桂や山県らに対する世論の批判が日増しに高まっていたからだ。しかし立憲君主である以上、元老会議の決定と内大臣の進言をはねつける選択肢はなかった。

 17日、大正天皇は桂に、勅語を与えた。