孤高の国母

(67)そのとき帝都に雷鳴が… 美しき皇太后の崩御

昭憲皇太后
昭憲皇太后

 大正天皇の権威を悪用する桂太郎内閣に国民の怒りが爆発し、総辞職に追い込まれた大正政変から1年余り、それは、突然のことだった。

 大正3年3月27日《沼津御用邸御滞在中の皇太后、昨二十六日午後二時強度の狭心症を発せられしにより、天皇皇后、侍従日野西資博を同御用邸に遣して御機嫌を候せしめられ、又皇后宮典侍(てんじ)千種任子をして皇太后宮権典侍(ごんのてんじ)姉小路良子に電報を発し、皇太后の御容体を伺はしめたまふ》(貞明皇后実録15巻23~24頁)

 明治天皇の崩御後、昭憲皇太后は公的活動から離れ、沼津御用邸で静養することが多かった。裕仁(昭和天皇)、雍仁(秩父宮)、宣仁(高松宮)3親王の成長ぶりを見るのが何よりの楽しみだったようで、ふれ合いの様子が昭和天皇実録にもしばしば出てくる。

 その一方、大正天皇や貞明皇后のすることに、口をさしはさむことはなかった。ことに貞明皇后については、あとを任せておけると安心していたのだろう。

 とはいえ貞明皇后からみれば、昭憲皇太后にはまだまだ教えてほしいことがたくさんある。直接指導を受けなくとも、存在そのものがお手本であり、励みであった。病で倒れたとの悲報に、衝撃を受けたのは言うまでもない。