孤高の国母

(68)誇り高き老女官 その気迫に市電もストップ!?

有栖川宮威仁親王
有栖川宮威仁親王

 昭憲皇太后が崩御した大正3年の前後、大正天皇と貞明皇后は、それぞれの指南役とも別れの日を迎える。

 大正天皇の別れは前年夏の7月5日。元東宮輔導の有栖川宮威仁(たけひと)親王が、51歳で薨去(こうきょ)したのだ。皇太子時代、生活全般の指導に尽くしてくれた“恩師”だった。明治32年に東宮輔導になると、それまでの健康管理態勢や教育方針を抜本的に見直し、地方行啓を推進して一緒に全国を巡ってくれた“盟友”でもあった。

 成人するまで病弱だった大正天皇が、結婚後は見違えるほど健康になったのは、貞明皇后の支えと、威仁親王の指南があればこそである。薨去の報に、大正天皇が悲嘆に暮れたのは言うまでもない。

 なお、威仁親王の第一王子、栽仁(たねひと)王はすでに薨去しており、有栖川宮家には継承者がいなかった。そこで大正天皇は宣仁親王に有栖川宮の旧称、高松宮の称号を与えて祭祀を継がせることにした。