孤高の国母

(72)第一次大戦で大隈内閣が暴走 大正天皇は苦悩した

第一次大戦中の最前線の兵士=1917年、フランス(AP=共同)
第一次大戦中の最前線の兵士=1917年、フランス(AP=共同)

 ポピュリズムの宰相、大隈重信が犯した取り返しのつかない失敗とは、外交-ことに対中政策である。

 時は1914(大正3)年の夏、場所は欧州、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに飛ぶ。

 オーストリア=ハンガリー帝国の統治領だったこの都市で6月、同帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がセルビアの民族主義者に銃撃され、妻とともに死亡した。

 報復のためオーストリアは7月、セルビアに宣戦を布告。これに対しセルビアを支援するロシアが総動員令を発令。するとオーストリアの同盟国ドイツがロシアとフランスに宣戦して中立国ベルギーに侵攻し、怒ったイギリスがフランス側に立って参戦…と、ドミノ倒しのように戦火が拡大していった。

 第1次世界大戦の勃発である。

 これに飛びついたのが大隈とその腹心、外相の加藤高明だった。日本も参戦することで、懸案の中国問題を一気に解決しようとしたのだ。