孤高の国母

(74)首相人事で混乱 天皇は“究極の選択”を強いられた 

寺内正毅
寺内正毅

 「大隈は只今(ただいま)辞表を提出したり、然(しか)れども之れ通常の辞表に非(あらざ)るが如し、今後の処置如何-」

 対中政策の失敗や閣僚の収賄事件などで人気が凋落(ちょうらく)した首相の大隈重信が、閣僚の辞表をとりまとめて奉呈した大正5年10月4日、大正天皇は元老筆頭格の山県有朋を呼び、困惑の表情で聞いた。

 慣例上、後任首相を天皇に推薦するのは元老である。明治末期には退陣する首相が後任を推薦することもあったが、これも事実上、元老の同意を前提としていた。

 ところが大隈の辞表には、前外相の加藤高明を後任とするよう明記されていた。山県ら元老が加藤に反対し、朝鮮総督の寺内正毅を推していることは大正天皇も知っている。首相と元老の相反する人選に、困惑を隠せなかったのも無理はない。