サンケイ新聞で新聞配達した少年時代、ON巨人のアンチテーゼ 野村克也氏

王貞治(右から2人目)、長嶋茂雄(左)らとヨーロッパ旅行し、ノートルダム寺院をバックに記念写真に収まる野村克也(右から3人目)。右は稲尾和久=昭和38年12月24日
王貞治(右から2人目)、長嶋茂雄(左)らとヨーロッパ旅行し、ノートルダム寺院をバックに記念写真に収まる野村克也(右から3人目)。右は稲尾和久=昭和38年12月24日

 京都府の北部にある町に育ち、小学生時代にサンケイ新聞を配達して育った野村さんほど「関西」を体現した野球人はいなかったのではないか。高度経済成長さなかの昭和40年代、庶民の娯楽として最も人気のあったプロ野球がON(王、長嶋)を擁する巨人を中心に回っているとき、野村さんは人気のなかったパ・リーグの南海で三冠王になるなど輝かしい成績を残しながら、ほとんどスポットライトを浴びることはなかった。「王、長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草」-。昭和50年5月、通算600号を放ったときに放ったコメントは関西人らしい諧謔(かいぎゃく)に富み、今も名語録としてプロ野球史上に残っている。

 巨人、東京のアンチテーゼとして存在感を示した野村さんが再び脚光を浴びたのは、皮肉にも東京のテレビ局、球団で高度な理論に基づいた野球解説をしてからだった。

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