灯す

第5部 パラリンピック (1)障害の有無を超えて

「乗り越える」物語は終わり 障害者の代表ではなく、一人のアスリートとして

 五輪と「並行(パラレル)」して行われる障害者スポーツの祭典-。 
 パラリンピックの「パラ」には、そんな意味がある。
 障害の有無を問わず「ともに」生きる社会は、
 来夏の東京五輪・パラリンピックが掲げる理想だ。
 障害は「乗り越える」ものではない。

 「障害」について語るとき、日本パラリンピック委員会(JPC)委員長の河合純一(45)は1枚の写真を示す。こんな光景だ。

 〈車いす利用者の一行が駅に着いたが、階段しかない。一行は階下で行き場を失い、階段を下りる人々の行く手を塞(ふさ)いでいる〉

 車いすに乗っていることが問題なのか。駅の設備が問題なのか。

 「『障害を乗り越える』というときに、障害をどう捉えるかが重要だ」

 誰が障害を生み出す主体か。その視点に立つことで見えてくる景色がある、と河合は言う。