記紀が描く国の始まり 天皇の肖像・第1部

神話を残した天武天皇(1) 乱を制し即位 編纂命じる

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天武・持統天皇陵=12日午後、奈良県明日香村(本社ヘリから、沢野貴信撮影)
天武・持統天皇陵=12日午後、奈良県明日香村(本社ヘリから、沢野貴信撮影)

 〈臣安萬侶(やつかれやすまろ)言(まを)す〉

 和銅5(712)年に完成した古事記は、この一文で書き出される序文から始まる。臣安萬侶とは、撰録(せんろく)者の役人、太安万侶(おおのやすまろ)。言している相手、つまり報告している主人は43代元明(げんめい)天皇である。

 太安万侶に古事記の編纂(へんさん)を命じたのは、元明天皇の叔父であり、同時に夫(皇太子・草壁皇子)の父だった40代天武天皇だ。天武は、兄・天智天皇の第1皇子、大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)と壬申の乱を戦って勝利し、即位した。序文にはその皇位の正統性を示すべく、こう記されている。

 〈飛鳥清原大宮(あすかのきよみはらのおほみや)に大八州(おほやしまくに)御(しら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世(みよ)に曁(いた)る。潜(くく)れる龍元(たついきほひ)に体(かな)ひ、●(しき)る雷期(いかづちとき)に応(こた)ふ〉

 飛鳥の浄御原宮の天皇とは天武のこと。天武の御代になったのは、天皇が天に昇る前の龍の徳を持っていて、しきりに鳴る雷のように、天子となるべき時に応えようとなさったからだ、と序文は書く。