歴史に消えたうた 唱歌、童謡の真実

(16)日本の美意識「荒城の月」

滝廉太郎住居跡地の碑。「花」「荒城の月」などがここで作られたとある=東京都千代田区
滝廉太郎住居跡地の碑。「花」「荒城の月」などがここで作られたとある=東京都千代田区

 ◆二高は校歌第一

 昭和25(1950)年を最後に廃止された旧制高校は全国に38校(外地、帝大予科を含む)しかなかった。同世代の1%以下という極めつきのエリート。自治・自由を掲げた寮生活、教養主義のカリキュラム、やがて国家を背負って立つ矜持(きょうじ)と責任を育む、全人格教育が行われた。

 その精神をうたったのが、学生自身が作り、高唱した「寮歌」である。百年以上の歴史を持ち、『嗚呼(ああ)玉杯(ぎょくはい)に花うけて』(一高・東京)『紅(くれない)萌(も)ゆる』(三高・京都)『都(みやこ)ぞ弥生(やよい)』(北大予科)などが有名だ。

 ところが、二高(仙台)だけは、現在も開催されている各種の寮歌祭で、寮歌ではなく「校歌」を必ず歌う。通称は、『天(そら)は東北-山高く』。明治38(1905)年の制定だ。作詞は詩人・英文学者で、同校OB、母校の教授も務めた土井晩翠(ばんすい)(林吉)である(作曲は楠美恩三郎)。