希望を与える「闘将」のように 星野仙一さんの言葉が原動力 小島汀さん(27)

虹を架ける-神戸レインボーハウス20年(中)
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結婚式場で働く小島汀さん。小学生時代に出会った星野仙一さんの姿が今も震災遺児として活動する原動力になっている=神戸市灘区の「ザ・ヒルサイド神戸」(沢野貴信撮影)

結婚式場で働く小島汀さん。小学生時代に出会った星野仙一さんの姿が今も震災遺児として活動する原動力になっている=神戸市灘区の「ザ・ヒルサイド神戸」(沢野貴信撮影)

 「とにかく負けるな。勇気を出して前に進もう」。3歳で阪神大震災に遭い、父を亡くした兵庫県芦屋市の小島汀(おじま・みぎわ)さん(27)は小学5年のとき、当時プロ野球阪神タイガースの監督だった星野仙一さんに出会った。星野さんも生前に父親を亡くした遺児。神戸レインボーハウスに通う一人として試合に招待され、遺児の苦しみを乗り越え、前向きに生きる星野さんの姿や熱のこもった言葉に人生が変わった。「私も希望を与える存在になる」。それが震災遺児として今も活動を続ける原動力になっている。

 両親と4歳上の兄との4人で暮らしていた芦屋市のアパートが震災で全壊した。家族全員がアパートの下敷きになったが、父の謙さん=当時(36)=が亡くなった。