近代国家への真の出発点に残る木戸孝允の書 司馬作品ゆかりの地を歩く

木戸孝允が書いた屋号「花外楼」=大阪市中央区(南雲都撮影)
木戸孝允が書いた屋号「花外楼」=大阪市中央区(南雲都撮影)

 作家、司馬遼太郎(1923~96年)の没後から、12日で25年となる。透徹した視座で過去を見極め、現代を鮮やかに描き、未来を展望した作品は今も読者の心を打つ。大阪で生まれ育ち、国民的大作家となった後も大阪にとどまり続けた司馬を追いかけて、関西で作品ゆかりの地を歩いた。  (新村俊武、横山由紀子)

「翔ぶが如く」 立憲国家・日本のスタートは今も

 西郷隆盛と大久保利通を通じ明治の揺籃(ようらん)期を描いた「翔(と)ぶが如く」に、「大阪会議」の場面が出てくる。

 外交政策の対立から西郷や木戸孝允、板垣退助らが去り、新政府はいきなり崩壊の危機に陥った。大久保は明治8(1875)年、大阪で木戸、板垣と協議を重ね、ついに2人を政府に戻すことに成功する。これが大阪会議である。

 《大久保が、当時、長州に帰って隠遁(いんとん)の構えをみせている木戸孝允を捕えるための大芝居であったといっていい。大久保が筋書を書き、役者を動員し、さらに演出までやりぬき、木戸とともに板垣まで捕えて東京の内閣へつれもどした》