仁徳陵や高松塚の解かれない謎…古墳の主の信憑性

 国内最大の古墳、仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)は本当に仁徳天皇の墓なのか。飛鳥美人壁画が描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の主(あるじ)は? 古墳の被葬者をめぐって、発掘調査のたびに熱い論争が繰り広げられる。「被葬者名が記された墓誌さえ見つかれば」との声も聞かれるが、国内の発掘で出土した例は太安万侶(おおのやすまろ)の墓(奈良市)などが知られる程度。そもそも、当時は誰もが知っていたはずの権力者の古墳に、名前を記す必要はなかったとの見方もある。古墳から墓誌は見つからないのか。(小畑三秋)

 仁徳天皇について日本書紀は、百舌鳥(もず)の地に葬られたと記述。同古墳のある一帯は現在も百舌鳥と呼ばれ地理的に矛盾はないが、近くに大型古墳が幾つかあり、特定は難しい。

 宮内庁による同古墳の発掘では、出土した埴輪(はにわ)や土器から、5世紀半ばの築造とされる。399年に死去したという仁徳天皇とはズレがあるが、没年の信憑性(しんぴょうせい)も定かでなく謎のままだ。