聖徳太子没後1400年 第1部(3)

太子の天皇即位を阻んだ「女帝の時代」

 〈姿色(ししょく)端麗にして、進止軌制(しんしきせい)あり〉

 聖徳太子が支えた日本初の女帝、33代推古天皇について日本書紀はそう記す。後の女性天皇の皇極(こうぎょく)や持統(じとう)は容姿への言及がなく、美貌との記述は真実味がある。「進止軌制」は振る舞いがきちんとしているとの意味で、きりりとした人柄も浮かぶ。32代崇峻(すしゅん)天皇が、反目した蘇我馬子に殺害される異常事態を受け、誕生した女帝である。

 〈厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)を立てて皇太子とされた。一切の政務を執らせて、国政をすべて委ねられた〉

 太子はおばの推古によって立てられたと日本書紀は記す。ただし即位はせず皇太子のまま没した。十七条憲法など数々の業績を残した太子ほどの人物がなぜ即位できなかったのか-。繰り返し持ち出される疑問である。それにこたえるには律令制国家が盤石となる以前の、大和政権の皇位継承のありさまを解き明かさなくてはならない。

申し分ない血統も決め手にならず