聖徳太子没後1400年 第1部(4)

国書事件の真相 国救った側近・小野妹子の「嘘」

聖徳太子ゆかりの法隆寺。左は金堂、右奥は五重塔=奈良県斑鳩町(飯田英男撮影)
聖徳太子ゆかりの法隆寺。左は金堂、右奥は五重塔=奈良県斑鳩町(飯田英男撮影)

 日本と中国の関係は今も昔も難しい。飛鳥時代にも、日中間に緊張が走る事件が起きそうになったことがあったという。未然に防いだとされるのが、聖徳太子が当時の中国・隋に派遣した遣隋使、小野妹子(おののいもこ)だった-。

 〈日出(い)づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや〉

 妹子は、こう書いた国書を持参した。

 隋の皇帝、煬帝(ようだい)は「野蛮な書で無礼だ」(蛮夷(ばんい)ノ書、無礼)と怒ったと伝わるが、この一連の記述は日本書紀にはない。『隋書』倭国伝だけが伝えるもので、太子が実際に対等外交をめざしたか否かは古代史の謎の一つだ。

聖徳太子への妹子の敬愛と忠義