浪速風

食べっぷりに感心と嘆息

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 向田邦子さんの「海苔と卵と朝めし」は「二・二六事件のころ、私たちは宇都宮に住んでいた」と書き出す。昭和11(1936)年2月26日。実家が舞台となった山王下に近かった母は、鉄砲玉が宇都宮まで飛んでくるかのように、「すぐ支度しなくちゃ」と叫んだ。おむすびを作ろうとしたようだった。