浪速風

大阪の街の姿変える人々の営み

 明治7年、大阪-神戸間の官設鉄道の大阪駅が造られた梅田は大阪の外れだった。中心部の堂島付近に造る予定だったが、住民から「汽車は火を吐くので火事になる」と猛反対され、変更した。一帯は低湿地を埋めて田んぼにしたことから「埋め田」と呼ばれ、後にめでたい「梅」の字を当てたとされる。