悲劇の司令部壕

(下)「春は来る。死んではいけない」 参謀の言葉に救われた人生

牛島満軍司令官らが最後の指揮をとった摩文仁の自然壕。鉄格子で固く閉じられ、中に入ることはできない=沖縄県糸満市
牛島満軍司令官らが最後の指揮をとった摩文仁の自然壕。鉄格子で固く閉じられ、中に入ることはできない=沖縄県糸満市

 「ガマの入り口近くに、破傷風にやられた人たちが隔離されていて、きついものだからバタバタ暴れてね…。もっと奥に入ると粗(あら)ムシロがひいてあって、そこに(負傷した)将兵がどんどん入ってくるんです」

 沖縄戦末期の昭和20年6月、首里城(那覇市)地下の第32軍司令部壕(ごう)から摩文仁(まぶに)(沖縄県糸満市)に移動し、野戦病院に配属された大嶺直子さん(94)が見たガマと呼ばれる自然壕の様子だ。

 「私は(負傷者に)食事をあげたり、包帯を取り換えたりしていたんです。今でも覚えているのは、兵隊さんがね、ポケットから写真を出して、私に『これ、家族なんだよ』って…」

 傷は重く、助かる見込みはない。大嶺さんは「やりきれない」思いだったという。