11月4日

産経抄
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 禅僧で歌人の天田愚庵は正岡子規に短歌の開拓を促した人として知られる。ある年の秋、庭になる柿を病身の子規に送った。待てど返事がない。愚庵は気遣う歌を子規に宛てた。〈正岡(まさをか)は真幸(まさき)くてあるか柿の実の甘きともいはず渋きともいはず〉。

 ▼真幸く、つまり「達者なのか」と。すでに礼状を出していた子規だが、急いで返歌をしたためた。〈柿の実のあまきもありぬかきのみの渋きもありぬしぶきぞうまき〉(『幕末明治 異能の日本人』出久根達郎著)。この一首を機に、子規は短歌に目覚めたという。