203連勝で引退した柔道家、山下泰裕氏の最後の試合は、主審も陰の主役だった。斉藤仁氏と争った昭和60年の全日本選手権決勝である。中盤、強引に技を掛ける山下に、斉藤は返し技の投げで応じた。両者は崩れ落ち、山下の背中が畳を打つ。
▼主審の手は上がらない。山下が自分で倒れた、との判断だった。主審は東京五輪無差別級銀メダルの神永昭夫氏である。後に「やはり斉藤だったか」と漏らしたという。技を認めるべきだったか、と。神永氏を悩ませたのは、競技者の生死を預かる審判の業(ごう)だろう。
203連勝で引退した柔道家、山下泰裕氏の最後の試合は、主審も陰の主役だった。斉藤仁氏と争った昭和60年の全日本選手権決勝である。中盤、強引に技を掛ける山下に、斉藤は返し技の投げで応じた。両者は崩れ落ち、山下の背中が畳を打つ。
▼主審の手は上がらない。山下が自分で倒れた、との判断だった。主審は東京五輪無差別級銀メダルの神永昭夫氏である。後に「やはり斉藤だったか」と漏らしたという。技を認めるべきだったか、と。神永氏を悩ませたのは、競技者の生死を預かる審判の業(ごう)だろう。