産経抄

1月29日

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 作家の故水上勉は、9歳のときに京都の寺に預けられた。やがて寺を飛び出し、42歳で直木賞を受賞して流行作家になるまで、職を転々とする。薬の行商、役所勤め、中国での苦力(クーリー)監督、代用教員など、その数は30を超えた。

 ▼もっとも、作家も「天職」とはいえない、とエッセーに書いていた。「天職はもっと…人によろこばれ、自分もよろこびを見出すことも出来、そうして、そのなすところのことが人のためになっている」ものだという(『働くことと生きること』)。