産経抄

5月19日

 永井荷風は昭和23年元日の日記に、こう書き留めている。「晴。来訪者なし。終日家にあり」。数え年で古希を迎え、胸のつかえがあったとみえる。朱書きで自作の歌を添えていた。〈七十になりしあしたのさびしさを誰にや告げむ松風のこゑ〉。

 ▼蓄えに憂いのない「勝ち組」のはずが、自適の老後には縁遠い哀調がにじむ。〈さびしさ〉からの逃避か、この年以降、浅草の歓楽街にしげく通っている。『断腸亭日乗』に頻出する「正午浅草」の記述は、ファンにはおなじみだろう。文豪の胸中は知る由もない。