産経抄

5月21日

 囲碁のタイトル戦で初めての海外対局となったのは、昭和60年にソウルで行われた第9期棋聖戦の第1局である。当時の趙治勲(ちょう・ちくん)棋聖と旧知の間柄だった作家の沢木耕太郎さんも、誘われて同行していた。

 ▼治勲さんが韓国の「天才坊や」として来日したのは、6歳のときである。日本語がまったくわからないまま、修業に明け暮れる日々が続いた。盤に向かえば髪をかきむしり、どんな劣勢の碁でも逆転することから、「念力の治勲」の呼び名がついた。