産経抄

9月6日

 早くから55歳で「隠居」すると決めていた。兵庫県姫路市出身のドイツ文学者の池内紀(おさむ)さんは、小学4年で父を亡くした。高校1年の時、大学を出たばかりの兄が、勤務先で事故死する。生活が苦しい中、池内さんと弟の宇宙物理学者の了(さとる)さんを大学に送りだしてくれた母も50代で亡くなっている。

 ▼自由への渇望は、こんな経験と無関係ではなかったろう。平成8年に東大の教授を辞めるにあたり、3つの予定を立てた。1つ目は、カフカの小説を一人ですべて訳す。全6巻総ページ数2400、400字詰め原稿用紙で4800枚の大仕事をやり終えたのは、6年後である。