産経抄

10月16日

 『奥の細道』に旅立つ前年の貞享5(1688)年8月、芭蕉は木曽路から信州に入った。月末に江戸に帰るまでの旅行記が『更科紀行』である。芭蕉はなぜか目にしているはずの千曲川の句をつくっていない。

 ▼コラムニストの石井英夫さんは小紙に連載した「千曲川をあるく」のなかで、地元の住民から得たひとつの答えを紹介している。千曲川は有史以来、何度も氾濫を起こしてきた暴れ川だ。芭蕉が訪れたときも流域は荒れ果てて、句想がわかなかった。つまり文字通り“絶句”した、というのだ。