山梨県大月市の宣伝文句は、「富士の眺めが日本一美しいまち」である。先月末に86歳で亡くなった山岳写真家の白籏(しらはた)史朗さんは、この街で生まれ育った。家庭の事情で高校に進まず、自宅で6人の弟、妹の世話をしていた。
▼ある日、故郷の風景をとらえた1枚の写真との出会いが人生を決めた。写真家を志し18歳で上京、富士山の撮影をライフワークとしていた岡田紅陽さんの弟子となる。それからは、写真機材を背負いながら、歩き回る毎日だった。
山梨県大月市の宣伝文句は、「富士の眺めが日本一美しいまち」である。先月末に86歳で亡くなった山岳写真家の白籏(しらはた)史朗さんは、この街で生まれ育った。家庭の事情で高校に進まず、自宅で6人の弟、妹の世話をしていた。
▼ある日、故郷の風景をとらえた1枚の写真との出会いが人生を決めた。写真家を志し18歳で上京、富士山の撮影をライフワークとしていた岡田紅陽さんの弟子となる。それからは、写真機材を背負いながら、歩き回る毎日だった。