産経抄

2月2日

 空襲で焼け出された作家の内田百●(ひゃっけん)は戦後、東京の麹町に土地を買った。庭に池をこしらえ、母屋とは別に広さ3畳の離れも建てている。余人がよほど疎ましかったらしい。訪客お断りの歌を詠んで門柱に張った。

 ▼〈世の中に人の来るこそうれしけれ/とはいふもののお前ではなし〉。随分なご挨拶である。随筆にも「だれも上がらせないから、皆さんもそのおつもりに願ふ」と書く念の入れようだった。「禁客寺(きんかくじ)」と名付けられた庵の前で、鼻白むお客さんの姿が目に浮かぶ。