産経抄

2月22日

 小学校の低学年の頃、テレビの西部劇映画で、どう見ても外国人である登場人物たちが流暢(りゅうちょう)な日本語を話すのに感心したのを覚えている。恥ずかしい話だが「吹き替え」を知らず、日本語は世界で通用するのかと勘違いした。もちろん、そんな思い込みは長くは続かなかったが。

 ▼その後は逆に、愛読していた児童書をきっかけに、日本語は外国人にとりひどく難易度の高い言語なのかと思うようになった。動物たちと自在に話ができる主人公が、こう紹介される場面が印象的だったからである。「日本語のほかなら、どの国のことばでもお話しになれます」(『ドリトル先生のサーカス』)。