産経抄

3月18日

 関西電力の初代社長、太田垣士郎の名を高からしめたのは、黒部川第4発電所、通称黒四の建設である。戦後の関西の電力不足を解決する切り札となった。

 ▼最大の難所となったのは、北アルプスの真下を貫く、資材運搬のためのトンネルである。案の定、掘削中に大量の冷水が噴出してきた。作家の北康利(やすとし)さんの手に成る伝記『胆斗(たんと)の人』によると、現地に急行した太田垣は、当然のごとくトンネルに入ろうとする。押しとどめようとする秘書に取り合わない。