産経抄

4月23日

 千葉県鴨川市の公園に、ある医師の弔魂碑が建っている。全国にコレラが蔓延(まんえん)した明治10(1877)年に、この地で殉職した沼野玄昌(ぬまの・げんしょう)である。西洋医学を習得した玄昌は政府から派遣されて、防疫と治療に当たった。

 ▼もっとも住民の目には、消毒液が毒薬に、患者を隔離する処置が「肝取り」に映ったらしい。玄昌は、暴徒と化した数十人の住民に惨殺される。42歳だったという。令和の日本人に、明治人の蛮行を嗤(わら)う資格はないだろう。