産経抄

6月30日

渡辺明棋聖と対局する藤井聡太七段=28日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館(川口良介撮影)
渡辺明棋聖と対局する藤井聡太七段=28日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館(川口良介撮影)

 作家の向田邦子さんが「勝負服」と題したエッセーを書いている。勝負服とは、競馬の騎手がレースで着用するものだ。締め切りが迫ると猛烈なスピードで原稿をこなす向田さんは、自らを騎手になぞらえていた。

 ▼とはいえ執筆の際の勝負服には、騎手のユニホームのような派手なデザインは必要ない。急いでペンを動かすのにじゃまにならない着心地のよさを第一の条件にして、よそゆきよりもお金をかけていた。

 ▼将棋のプロ棋士の勝負服は着物である。青野照市九段によると、江戸時代に家元がお城に上がり、将軍の前で将棋を披露するときの服装に由来する。どんな高貴な人の前でも出られる作務衣(さむえ)姿だったことが、現在のタイトル戦での羽織袴(はかま)姿につながっている(『プロ棋士という仕事』)。

 ▼第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負。第1局はスーツ姿だった藤井聡太七段(17)は、第2局を黒の羽織、濃紺の着物、グレーの仙台平(せんだいひら)の袴姿で臨んだ。青野九段は「タイトル戦で初めて着物を着る若手棋士はかなりつらそうだ」という。もっともそんな常識は、藤井七段にはあてはまらない。