産経抄

11月26日

 昭和59年夏の甲子園の大本命は、PL学園(大阪)だった。桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」が投打の中心となり、前年夏に優勝、春の選抜でも準優勝していた。その大本命を決勝で破り、茨城県に初めて優勝旗をもたらしたのが、木内幸男さんが率いる取手二高である。

 ▼秋の国体が終わると取手二高のグラウンドに桑田さんの姿があった。負けた理由を知りたかったからだ。当時の取手二高では男女交際が認められ、彼女からプレゼントされたお守りを首から下げている選手もいた。甲子園では、初戦突破のご褒美として海水浴にも繰り出していた。桑田さんは何より、練習でも試合でも笑顔でプレーする姿に驚いた。