
去る2月13日に「人種差別撤廃提案百周年」を記念するといふ趣旨の民間の集会が都内で開催された。趣旨からして洵(まこと)に記念的な重要な催しと思はれたので聴衆の一人として参加し、登壇した8人の講師陣による歴史的事実の客観的報告といふに近い地道な講演を拝聴した。いづれも時宜に適つた、貴重な警世の語と思はれたのだが、何か学会の様な地味な空気の会で、聴衆の数から見ても広く世の注意を喚起する効果を有したとは思へないので、本欄を借りてこの集会の意味を紹介させて頂(いただ)く。
≪百年前、日本から声あげた≫
百年前といふと大正8年で、つまり第一次世界大戦の後始末を策するパリ講和会議が開かれ、我が日本は当時の聯合国の一員として戦勝側に列なつて参加してゐた。その際の国際聯盟規約草案検討委員会第10回会合で、日本の牧野伸顕全権委員が、聯盟規約案の第21条に人種差別撤廃の項目を入れる様に提案したのが2月13日の事であつた。つまりこの日は、国際会議といふ大世界の公論の場で人種差別といふ近代国際社会の恥部と呼ぶべき悪疾を克服しようとの聲(こえ)が揚つた最初の日であり、且(か)つその発聲(はっせい)者は日本人だつたのだ。