≪決裂の模範例となる米ソ会談≫
米保守派が、生産的な決裂の模範例として挙げるのが、アイスランドの首都レイキャビクで行われた1986年10月の米ソ首脳会談である。相互核軍縮の条件としてゴルバチョフ書記長が、米側の戦略防衛構想(SDI=包括的ミサイル防衛システム)を「実験室内にとどめる」よう求め、これをレーガン大統領があくまで拒否したため、物別れに終わった。
同席したシュルツ国務長官は、「もし大統領がSDIを死なせることに同意していれば、われわれは、こちらが望む形でソ連を動かす梃子(てこ)を完全に失っただろう」と振り返っている。ゴルバチョフ書記長がSDI阻止に全力を挙げたのは、対抗するだけの資金力と技術力がなかったためである。レーガン政権は軍事費の大幅増、ココム(対共産圏貿易規制)違反の徹底摘発など、対ソ締め付けを強化していた。軍事圧力と制裁が効いていたわけである。