正論・令和の8月に思う

気骨の哲学者、阿部次郎の警告 社会学者・関西大学東京センター長・竹内洋

関西大学東京センター長の竹内洋氏(栗橋隆悦撮影)
関西大学東京センター長の竹内洋氏(栗橋隆悦撮影)

 昭和20年3月、米軍による東京大空襲がはじまった。翌月から、仙台市にも空襲警報が頻繁に鳴り始める。7月10日未明、仙台市中央部から南部にかけてB-29(大型戦略爆撃機)の大群が襲う。焼夷(しょうい)弾がばらまかれ、仙台市中央部は焦土と化した。

 大正教養主義のバイブルといわれ、団塊世代までは大学生の必読書だった『三太郎の日記』の著者阿部次郎(哲学者、1883~1959年)はこの日仙台市内の自宅にいた。3月に東北帝国大学教授を定年退職したばかりだった。戦火は免れたが、7月17日に山形県東村山郡大郷村に疎開する。