正論

横田滋さんの決断と召天に寄せて モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授・西岡力

横田めぐみさんの拉致が発覚し、新潟市の街頭で被害者の救出を呼びかける横田夫妻。「父 横田滋」「母 横田早紀江さ」と書かれたたすきをかけ思いを訴えた=平成9年5月、新潟市
横田めぐみさんの拉致が発覚し、新潟市の街頭で被害者の救出を呼びかける横田夫妻。「父 横田滋」「母 横田早紀江さ」と書かれたたすきをかけ思いを訴えた=平成9年5月、新潟市

 横田滋さんが召天された。初めてお目にかかったのは平成9(1997)年2月だ。23年以上ともに戦ってきたから、戦場で私のすぐ横で敵に向かっていた戦友が敵の弾丸にあたって倒れた、という感覚だ。同じ感覚を今年2月、有本恵子さんのお母さまの嘉代子さんが召天されたときにも感じた。

 安倍晋三首相も同じ感覚を持っていた。首相も「ともに戦ってきた」という表現を滋さんと嘉代子さんへのコメントで使った。

 ≪拉致問題でともに戦い≫

 結果が出ていないから、さまざまな批評、批判が安倍首相や私たちの運動にも向けられてきた。ただ、ともに戦ってきたのではない傍観者や、ひどいときには妨害者だった方たちからの批判には同意できない部分が多い。なぜめぐみさんたちを取り戻すことができないのか。一番大きな原因は、戦いの始まりがあまりにも遅かったからだ。今分かっている最初の北朝鮮による日本人拉致は昭和38年の寺越事件だが、拉致は50年代に集中して起きた。政府認定拉致17人のうち13人は52年9月から53年8月までの1年間に起きている。