正論

平和ボケ改め「令和維新」実現を 明治大学名誉教授・入江隆則

尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄県石垣市(鈴木健児撮影)
尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄県石垣市(鈴木健児撮影)

 ≪明治維新前の2つの戦争≫

 国難である“小さな戦争”が国民の意識に与える影響について、私はこれまでに何度も書いたことがある。例えば日本の近代化の出発点となった約150年前の「明治維新」が、何故(なぜ)あれほど成功したのかといえば、それに先立つ薩英戦争と馬関戦争で、当時日本の雄藩だといわれていた薩摩藩と長州藩がともに敗れたからである。

 その詳細を今ここで書くことはできないが、1862年に横浜の近郊で起こった生麦事件で薩摩藩士が英国人を斬り殺したことの復讐として、翌年、英艦隊が鹿児島湾に侵入し鹿児島市街の約1割を破壊した。その結果薩摩藩と幕府とが英国に54万ドルを支払って解決したのが前者の薩英戦争である。