ずっと、つながっていく 東日本大震災「今度は私が寄り添う番」 福井友利さん(28)

虹を架ける-神戸レインボーハウス20年(上)
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4歳の時に阪神・淡路大震災で母親=当時(31)=を亡くした福井友利さん。神戸レインボーハウスに通った当時を振り返りながら「この部屋でよくぬいぐるみで遊んでいました」とほほえむ。東日本大震災後は東北での遺児の支援を行い、現在も交流を続けている =神戸市東灘区の神戸レインボーハウス(渡辺恭晃撮影)

4歳の時に阪神・淡路大震災で母親=当時(31)=を亡くした福井友利さん。神戸レインボーハウスに通った当時を振り返りながら「この部屋でよくぬいぐるみで遊んでいました」とほほえむ。東日本大震災後は東北での遺児の支援を行い、現在も交流を続けている =神戸市東灘区の神戸レインボーハウス(渡辺恭晃撮影)

 「私も、お母さんが亡くなったんだよ」。平成7年の阪神大震災で母を亡くした兵庫県三田市の福井友利(ゆり)さん(31)は、東日本大震災から約2カ月後の23年5月、被災地の宮城県石巻市で開かれた遺児の行事に参加した。そこで出会ったのが津波で母親を亡くした女子中学生。涙を流すばかりの彼女に声をかけた。それでも、泣き続ける彼女にそれ以上の言葉を見つけることができなかった。

 4歳で母を失った。4年後、震災遺児の支援施設「神戸レインボーハウス」が開設されると、足しげく通った。大学進学後はスタッフとして活動。運営するあしなが育英会(東京)が企画した石巻市での行事にも学生スタッフの立場で参加した。