昭和天皇の87年

反乱に狼狽する陸軍上層部 天皇は速やかな鎮圧を命じた

画=筑紫 直弘
画=筑紫 直弘

第119回 二・二六事件(3)

 二・二六事件の勃発から45分後、昭和11年2月26日午前5時45分、《当番侍従甘露寺受長は、当番高等官宮内事務官高橋敏雄より、侍従長官邸が軍隊に襲われ侍従長鈴木貫太郎が重傷を負った旨の連絡を、続いて、内大臣私邸が襲撃され内大臣斎藤実が即死した旨の連絡を受ける。六時頃、甘露寺は皇后宮女官長竹屋志計子を通じ、(昭和天皇に)御目覚めを願う旨を言上する。ついで、各所に電話連絡し総理大臣官邸等の襲撃につき情報を得る。六時二十分、(昭和天皇は)御起床になり、甘露寺より事件の報告を受けられる》(昭和天皇実録23巻24~25頁)

 昭和天皇は危機に強い。御召自動車が狙撃された大正12年の虎ノ門事件でも、儀仗行列に手榴弾が投げ込まれた昭和7年の桜田門事件でも、ほとんど動じなかったことはすでに書いた通りだ。

 東京朝日新聞の記者だった高宮太平によれば、甘露寺から事件の報告を受けたとき、昭和天皇は静かに聞きながら、こんなやりとりを交わしたという。

 「まだ他にも襲撃された者はないか」

 「唯(ただ)今の所ではこれ以上の情報はありませんが、他にも被害者があるかも知れませぬ。何(いず)れ各方面に問合はせて、また奏上致します」

 「さうしてくれ、自分はすぐ支度して、表の方に出るから」

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