昭和天皇の87年

激怒した海軍 第一艦隊が東京湾に集結し、砲門を反乱軍に向けた

画=筑紫 直弘
画=筑紫 直弘

第120回 二・二六事件(4)

 「内外真(まこと)に重大危急、今にして国体破壊の不義不忠を誅戮(ちゅうりく)して、●(=木へんに陵のつくり)威(みいつ)を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(せんじょ)するに非ずんば皇謨(こうぼ)を一空せん。(中略)茲(ここ)に同憂同志機を一にして蹶起(けっき)し、奸賊を誅滅(ちゅうめつ)して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳を竭(つく)し、以て神州赤子の微衷を献ぜんとす」

 昭和11年の二・二六事件で青年将校が掲げた、決起趣意書の一部だ。皇道派に影響を受けた青年将校は、「国体破壊」の具体例として統帥権干犯問題と天皇機関説問題を挙げ、そのいずれかに関わった政府首脳や宮中側近を「誅滅」し、陸軍中央から統制派を一掃して「御維新」を断行しようとした(※1)。

 これに対し陸相の川島義之は2月26日午後、反乱部隊の肩を持つ皇道派の陸軍長老らにおされ、以下の陸軍大臣告示を発出する。

 「蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ 諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ヨリ出タルモノト認ム 国体ノ真姿顕現ニ就テハ我々モ亦恐懼(きょうく)ニ堪ヘサルモノアリ…」

 ここに、政府首脳や宮中側近を襲撃し、護衛の警官を含め9人を殺害した反乱部隊は、表面的とはいえ「義軍」扱いされることとなった。陸軍の方針は、断固とした処置をのぞむ昭和天皇の意向から、完全に乖離(かいり)してしまったといえるだろう。

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