昭和天皇の87年

監禁された蒋介石 黒幕として動いたのはスターリンだった

画=筑紫 直弘
画=筑紫 直弘

第127回 西安事件

 二・二六事件後に発足した広田弘毅内閣が、軍部大臣現役武官制の復活と日独防共協定の締結で、破滅の戦争への扉を開いてしまったことはすでに書いた。だが、不運であったのも事実だ。中国で1936(昭和11)年12月に起きた西安事件が、日中関係改善の道を、固く閉ざしてしまうのである。

 中国は当時、国共内戦の最終局面を迎えていた。蒋介石の国民党軍は34年10月、毛沢東らの中国共産党が支配する瑞金(現中国江西省瑞金市)を攻略。共産党軍は戦いながら西へ北へと逃れた。長征の名で知られる、あてのない退却行軍-。36年11月に延安(現陝西省延安市)にたどり着くも、移動距離は1万2500キロに及び、当初30万人の兵力が4万人足らずに激減したといわれる。

 長征を殲滅(せんめつ)の好機とみた蒋は、国民党傘下で東北軍を率いる張学良と西北軍の楊虎城に、総攻撃を命じた。だが、張と楊の軍隊はまともに戦おうとしない。このため蒋は36年12月4日、討伐軍の司令部のある西安(現陝西省西安市)に乗り込み、張ら現地の将軍たちを叱咤(しった)激励した。

【連載】昭和天皇の87年