昭和天皇の87年

悲劇の貴公子かポピュリストか- 近衛文麿いよいよ登場

首相となった近衛文麿(画=筑紫直弘)
首相となった近衛文麿(画=筑紫直弘)

第130回 操り人形

 「私が出て来たので、陸軍がなぜ騒いだかといふと、『あいつが出たら、我々がわがままが出来ぬ』といふことに尽きるだらう」

 昭和12年1月25日に組閣の大命を受け、陸軍の反対で拝辞のやむなきに至った予備役陸軍大将、宇垣一成が手記につづった恨み節である。

 組閣を潰した首謀者の石原莞爾が、宇垣では「わがままが出来ぬ」と考えていたのは事実だろう。参謀本部作戦部長代理兼戦争指導課長だった石原は当時、スターリンの5カ年計画によって急速な発展を遂げたソ連に脅威を抱き、満州と連携した国防体制の確立を急いでいた。それには莫大な予算が必要だが、我の強い宇垣を説得するのは容易ではないと危惧したのだ。

 では、誰なら「わがままが出来る」のか-。石原が担ごうとしたのは、元陸相の林銑十郎である。