昭和天皇の87年

大混乱の参謀本部 現地の停戦協定はご破算となった

石原莞爾(画=井田智康)
石原莞爾(画=井田智康)

第132回 動員派兵

 昭和12年7月7日に盧溝橋事件が起きたとき、参謀本部を主導していたのは作戦部長の石原莞爾である。一報を受けた石原は、作戦課員に訓示した。

 「支那と戦端を開くときは長期持久に陥り、日本は泥沼に足を突っこんだ如く身動きができなくなる。戦争は避けなければならぬ」

 当時の石原はソ連の動向を危惧していた。陸軍の戦時総兵力は陸上30個師団、航空45個中隊で、ソ連軍に比べ著しく劣っている。対抗するには日本・中国・満州が連携しなければならず、中国と戦争するなどもってのほかと考えていたのだ。石原はまた、「今日の支那は昔の支那ではない。(中略)挙国一致の強い力を発揮することができる」ともみていた。

 だが、こうした考えは陸軍では少数派だ。多くは中国など一撃を加えれば屈服すると思い込み、拡大論に傾いた。その筆頭が、石原の直属の部下の作戦課長、武藤章である。石原の訓示を渋面で聞いていた武藤は、石原が部屋から出て行くと電話に飛びつき、拡大派の仲間を呼び出して言った。

 「面白くなったね。ウン、大へん面白い。大いにやらにゃいかん」

 以後、参謀本部は路線対立で混乱する。石原が現地の支那駐屯軍司令部に不拡大方針を電話で指示すると、直後に拡大派の将校が同軍参謀に電話をかけ、強気でいけとはっぱをかける有様(ありさま)だ。それでも9日までは不拡大方針が通っていたが、10日の参謀本部首脳会議で武藤らが3個師団動員案を提起し、風向きが変わった。ほかの部課長らが賛同したため、石原も渋々ながら同意してしまうのだ。

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