第133回 迷走
昭和12年7月7日に起きた盧溝橋事件の報告を、昭和天皇は滞在先の葉山御用邸(神奈川県葉山町)で受けた。それより8日前、昭和天皇は内大臣の湯浅倉平を呼び、日中関係の改善のため《先手を打って我が国より支那の希望を容れること、また、北支対策につき御前会議を開いて方針を決定することを御希望》になったと、昭和天皇実録に記されている(24巻82頁)。
昭和天皇は、日中関係が険悪化したままではいずれ取り返しのつかない事態になると、危惧していたのだろう(※1)。不幸にしてそれは、現実のものとなった。
日中両軍の衝突を受け、昭和天皇は予定を切り上げて皇居に戻り、以後は唯一の趣味としていた生物学御研究所での研究もやめ、連日公務に励んだ。7月14日には侍従武官長から現地の支那駐屯軍司令官に、「陛下には今回の北支事変に関し其の拡大を特に御軫念(しんねん=天子が心を痛めること)…」と記した書簡が届き、軍司令官に絶対不拡大の決意を固めさせている。