昭和天皇の87年

検証「南京大虐殺」 中国兵1万6000人はなぜ殺害されたのか  

画=井田智康
画=井田智康

第139回 幕府山事件

 司令官自らの敵前逃亡で中国軍が総崩れとなり、中国国民党の最大拠点、南京が陥落した1937(昭和12)年12月13日の翌日、南京城の北方、幕府山の砲台を占領した第103旅団長の山田栴二(せんじ)は驚いた。大量の中国軍将兵らが白旗を掲げて投降してきたからだ。その数、およそ1万4000人。山田は日記に書く。

 「斯(か)ク多クテハ殺スモ生カスモ困ツタモノナリ」

 山田の部隊は約2200人。投降兵らはその7倍近くだ。上級司令部に連絡すると「皆殺セトノコトナリ」である。山田はますます困惑した。

 山田だけではない。南京城外の戦闘地域では13日以降、各地で投降兵が続々と現れ、部隊長を悩ました。撹乱(かくらん)目的の偽装投降兵が紛れ込んでいる恐れもあり、処置を誤れば自軍が危機に陥る。陸軍中央や中支那方面軍の方針は明確でなく、投降兵の処置は事実上、現場指揮官の裁量に委ねられた。

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