昭和天皇の87年

へそを曲げた松岡洋右 天皇は外相交代を示唆した

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

第164回 日米諒解案(2)

 陽春の風がそよぐ東京郊外の立川飛行場。首相の近衛文麿が多数の政軍関係者らとともに、北西の空を見上げていた。やがて上空に黒点が浮かび、徐々に大きくなる。陸軍機の機影だ。近衛は、その中にいる男の顔を思い浮かべ、ゴクリと固唾をのんだ。

 昭和16年4月に日米交渉の土台となる諒解(りょうかい)案がまとまり、大本営政府連絡懇談会で原則賛成の方針が決まったことは前回書いた。だが、この男の対応次第では、ちゃぶ台がひっくり返る恐れもある。間もなく欧州歴訪の旅から帰国する外相、松岡洋右のことである。

 4月22日の朝、立川飛行場で松岡を待つ首相の近衛は、内閣書記官長の富田健治にそっと言った。

 「松岡外相は人一倍感情の強い人だから、日米諒解案について原則賛成だと伝えても、どういう返事をするか分からない。自分が出迎えて、帰りの車中で説得すれば、案外スラスラ行くかも知れない」

 ところが近衛は、立川飛行場に降り立った松岡と握手を交わしたとたん、考えを変えた。日ソ中立条約を調印し、凱旋(がいせん)将軍気取りでカメラのフラッシュを浴びる松岡が、多数の報道陣らを引き連れて「これから皇居を遙拝したい」と言い出したからだ。松岡流のパフォーマンスに、うんざりしたのである(※1)。

 結局、近衛は帰りの車で松岡と同乗せず、説得は外務次官の大橋忠一に任された。

 果して松岡は、車中で大橋から日米諒解案の経緯を聞き、不機嫌になった。

 「勝手に米国と妥協するなど、盟邦の独伊に対して不信きわまりないではないか」

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