昭和天皇の87年

トラ・トラ・トラ 米軍初の大敗北 戦艦アリゾナは撃沈した

第175回 真珠湾攻撃(1)

 1941(昭和16)年12月7日午前7時30分、ハワイは、穏やかな日曜日の朝を迎えていた。

 ホノルルのラジオ局はジャズを流していた。それを市民や米兵は朝食をとりながら、あるいはベッドの中で聞いた。

 午前7時40分、北の空の雲の切れ間に、無数の点が現れ、みるみる大きくなってオアフ島の西を飛んでいく。だが、それを見た者はいなかった。

 無数の点は、日本海軍の九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、そして零式艦上戦闘機(ゼロ戦)だ。先頭機に乗る飛行総隊長の淵田美津雄は、無警戒の真珠湾を真下に見て、後続する180余機の攻撃機、爆撃機、戦闘機に打電した。

 「ト・ト・ト」(全軍突撃セヨ)

 時に午前7時49分(日本時間8日午前3時19分)。勝利を確信した淵田は、ハワイ沖の連合艦隊機動部隊に向けても打電した。

 「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)

 直後に爆撃隊が急降下し、ヒッカム飛行場を攻撃する。続いて雷撃隊が湾内の米戦艦、米巡洋艦を急襲。制空隊も飛行場の敵機を掃射し、真珠湾は猛火と黒煙に包まれた。

 瞬時にして迎撃力を奪われた米太平洋艦隊に、なす術はなかった。軍艦も、軍機も、あらゆるものが燃えている。7時58分、ハワイから米本土に発せられた悲痛な警報が、太平洋を越えた。

 「パールハーバー空襲! これは演習ではない! 演習ではない!」