昭和天皇の87年

山本五十六は名将か愚将か 機密を愛人に漏らした油断と慢心

画=井田智康
画=井田智康

第180回 運命の海戦(2)

 「それは是非やれと言われれば、初めの半歳や一年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ…」

 日米開戦のおよそ1年前、連合艦隊司令長官の山本五十六が時の首相、近衛文麿に語った言葉である。

 確かに開戦初頭の半年間、日本海軍は暴れに暴れた。ハワイの米太平洋艦隊を壊滅状態に追い込んだ昭和16年12月8日の真珠湾攻撃にはじまり、蘭印でABDA艦隊(※1)の主力巡洋艦や駆逐艦をことごとく沈めた17年2~3月のスラバヤ沖・バタビア沖海戦、主力空母による決戦で英東洋艦隊に大打撃を与え、遠くアフリカ東岸まで追い払った同年4月のセイロン沖海戦など、ほぼ無敵である(※2)。

 しかし山本は、かつて東郷平八郎が日本海海戦後に訓示した「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」を忘れた。慢心したのだ。