昭和天皇の87年

「ミカドの保持を」…ポツダム宣言は無条件降伏ではなかった

画=井田智康
画=井田智康

第199回 終戦(1)

 鈴木貫太郎内閣が発足した昭和20(1945)年4月、海外では、戦争指導者が相次いで姿を消し、国際情勢は激しく揺れ動いた。

 30日に独・ヒトラーが自殺したことはすでに書いた。その2日前、28日には伊・ムソリーニがパルチザンに捕らえられ、処刑されている。より衝撃的だったのは12日、米・ルーズベルトが急死したことだ。

 その日、ルーズベルトはジョージア州ウォームスプリングスの私邸で、肖像画を描きたいという女性画家の求めに応じ、ポーズをとっているところだった。欧州戦線でも太平洋戦線でも、勝利はほぼ間違いない。ルーズベルトの表情は、穏やかだったことだろう。それが突然、苦痛に歪んだ。

 午後1時15分、頭を抱えて前のめりに倒れたルーズベルトは、3時35分に息を引き取る。死因は脳出血。63歳だった。